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【アナキズム】とは?これからの社会を生きのびるヒントになる本


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アナキズム」と聞くと、どこか危険というか、無法地帯のような情景が思い浮かぶかもしれません。国家や政府を真っ向から批判するような、反抗的な思想というイメージでしょうか。

 

 

今回ご紹介する本は、暴力的なイメージとは違う、私たちがこれからの社会を生きのびるヒントになりようなアナキズムの実践について書かれています。

 

 

  • 都会で生活していて、近隣に知り合いが少ない方
  • 何でも多数決で決まってしまうことに違和感がある方
  • 国家や政府の在り方に疑問がある方

 

 

これからの社会を少しでも生きやすくなるヒントに、手を伸ばしてみませんか。

 

始めに紹介する「くらしのアナキズム」は、次に紹介する「アナーキスト人類学のための断章」を参照して書かれています。

 

 

 

くらしのアナキズム (松村 圭一郎/ミシマ社)

 

 

 

概要

後に紹介する、デヴィッド・グレーバーの「アナキズム」をもとに、国家がなくても成立してきた社会が数多くあることを明らかにしてくれる本です。

 

「政治」というと、私たちは選挙に行って票を投じるけれど、政治家たちが行うものというイメージがあります。

 

本書では、自分たちの生活実践に政治を取り戻す心構えや習慣を、日頃から取り入れておくことの重要性が説かれます。

 

 

著者はエチオピアでの滞在経験から、日本のようには国家が機能していない生活があるという気づきを得て、本書は始まります。

 

国家が機能していなくても、近隣住民が互いに助け合うことで、その集団の生活が成り立つのだとしたら、国家はなんのためにあるのでしょうか。そこで望まれるリーダー像とは、どのようなものでしょうか。

 

 

様々な地域や集団のリーダー像を集めてみると、今日の日本の政治家とは異なることが分かります。

 

 

本書で挙げられるリーダー像の例はいくつかあるのですが、集団の構成員に支持される限りにおいて、権限を付与されていることが特徴的です。

 

リーダーは常に人びとから監視され、そぐわない行動をすれば、リーダーの座から降ろされます。政府が監視の目を光らせて、人びとに法や規制を敷くのとは、反対のことが起こっているというわけです。

 

 

いわゆる「未開社会」のリーダー像を模倣しろ、という主張ではありません。

 

しかし、図体が大きい国家は、自然災害やパンデミックといった緊急事態では、すぐに生活者に救助を出すのが難しいです。

 

結局、緊急事態に手を差し伸べてくれるのも、私たちが助けるべきなのも、隣人レベルになるでしょう。

 

 

生活するうえでの困難を共有しあえる関係を築くという目的でも、普段から人間関係を耕すという「政治」実践を行うことの重要性を、本書は主張します。

 

 

感想

本書では、特に熊本地震やコロナ禍でのパンデミックで、

 

  • 国家が何をしてくれたか/してくれなかったか
  • 生活者のレベルでもできたことは何か
  • むしろ生活者だからこそ気がつけたこと/手を差し述べられたのはどんなことだったのか

 

実体験を踏まえつつ記しています。直近の例であることもあり、その情景が目に浮かぶようで説得力がありました。

 

 

特に国家がない社会で、

 

  • 生活者である人びとが、どのように問題に対処してきたのか
  • どのような人がリーダーとされてきたのか

 

今の日本の制度とは正反対のような例が、世界を見れば実にたくさんあることがわかりました。

 

 

同時に、ひと昔前の日本の農村でとられていた合意形成の方法など、同じ日本であっても、今の国家のあり方が絶対ではないことが見えてきます。

 

 

次に紹介する本の著者、グレーバーのいう民主主義のあり方は、正直グレーバーの本だけでは理解しきれませんでした。その分、本書でその理解を補強できたと思います。

 

 

多数決が正しいと言い切れるわけではないし、少数派に不満が残ったままでは、特に小さな村コミュニティではその後の生活がやりにくくなってしまいます。

 

長い時間をかけてみんなが意見を言い合うことは合理的でなく、さっさと多数決で決めてしまえばよいのに、という考えがあることも理解はできます。

 

 

でも、それでは成り立たない、むしろ逆効果である場面が世界にはきっとたくさんあるのだろうと思いました。

 

 

アナーキスト人類学のための断章 (デヴィッド・グレーバー/以文社)

 

 
 
先にご紹介した「くらしのアナキズム」でよく引用されているのが、グレーバーによる「アナーキスト人類学のための断章」です。私は本書を先に読んでから、「くらしのアナキズム」を読みました。
 
どちらも読んでみると、「こういうことが言いたかったんだな」と、双方の主張が補完されてより理解が深まります。
 
 
「くらしのアナキズム」は著者が日本人なので、日本の災害やコロナ禍での日本政府の対応を例にしていました。一方、「アナーキスト人類学のための断章」では、著者が滞在したマダガスカルでのエピソードが印象的です。
 
 
私たちが自明のものとしている国家や政府は、果たして本当に確固とした存在なのか。
 
 
本書では、それらがなくても機能している集団や地域を例に出し、私たちの常識に疑問を投げかけてきます。
 
 

まとめ

これからの社会を生きのびるヒントという視点から、アナキズムについて書かれた本をご紹介しました。

 

今まで絶対だと思っていたものでも、実はそうでない可能性に開かれていることに、気が付けた本でもあります。

 

より生きやすくなるようなヒントを見つけてもらえたら嬉しいです。